南房総・鴨川市天津鎮座 | 源頼朝公が伊勢の神宮より御分霊を勧請し創建された八百余年の歴史をたたえる神社

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房州伊勢の宮 天津神明宮 七月の神訓   智恵を 絞って 工夫を 凝らして
禰宜日記
〔2020/08/25〕 自分探し…
今日は午前は在宅で仕事。
午後は文化体育館にて、来年1月末に企画している「サイクルサミット」について打ち合わせた。

さてさて、今日は物思いに耽る時間があって、いろいろと考えを巡らせたのだが。
「自分探し」ということばがあるが、私はあまりこのことばは好きではない。
「自分探し」をしている人たちには申し訳ないが、これはある種の逃げのことばに聞こえてしまう。
自分はすでにここに存在しているわけで、「自分探し」とは「現状の自分からの逃避」とも受け取れるように思う。

私も会社経営やまちづくり事業、あるいはオルカやゾンネでクラブ・チームのマネージメント、監督といったものを務めてきているが、これまでの経験の中で一つ思うのは、自分に合う環境を求め続ける人は一生見つからない、ということだ。
そもそも環境を自分に合わせるなんておこがましいことだし、そういう人は、たとえ自分に合う環境を見つけたとしても、次には合わない要素を見つけはじめ、最後はやっぱりこの環境は自分には合わなかった、と、屁理屈をこねて自己正当化し、渡り鳥のように次の環境を求めていくという傾向が見られる。
そういう人を見ると、この人は一生自分に合う環境なんて見つからないだろうな、と思う。お世話になった人たちに恩を仇で返し、極めて利己主義的な生き方をしていくんだろう、とある種哀れな思いになる。

環境とはそもそも与えられるものではない。
自分でつくり上げていくものである。
現状の環境に文句を言う前に、まずは自分で現状の環境を活かすことからはじめてはどうか。
そして、それを自分で発展させていけば良いのではないだろうか。

今の環境を活かせる人は、どこに行っても環境を活かし、活躍できるだろう。
逆に今の環境に不平不満をこねている人は、どこの行ってもその環境に不平不満をこね続け、決して成功することはないと思う。

これは自分自身への自戒でもある。
2005年にかっぺの代表を辞めた時、いろいろな思い、いろいろな出来事があったけど、結局は人は自分の写し鏡ということに気づかされ、全ては本当に意味で自分と向き合えておらず、矛先が他人に向いていたということが原因であることを数年かけて痛感した。

さあ、いまの自分は「自分探し」なんてことを考えていないだろうか。
もっと合う環境があるはずだ、と思っていないだろうか。

謙虚になり、感謝し、今の環境の中で光明を見つけるようにしたい。
努力ではなく、自然なふるまいの中でそういうスタイルの自分でありたい。


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− 2020年8月28日 09時15分 更新 by やまちゃん

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